26番地在住、宇宙人の日記

無鉄砲な人間がやる気なく生きていくさまを公開

場所を移動。静岡にやってきた。

 

 世の中のどれほどの人が日記を書いているんだろう。
昔父に日記を書いたことがあるか聞いたことがあるが、宿題以外では書いたことがないというようなことを言っていた。
友人も彼女の父親に同じ質問をし、同じような回答を得ていた。

 私は非常にランダムに日記を書く人間である。飽きっぽいので継続はしないけれど、書くときは延々と書き連ねている。
そしてかなりの頻度でそれを捨てる。あるいは実家の庭で焼く。
その理由が自分でも驚く、というか呆れるんだけど、私がついにピカソとかバスキアなんかみたいに伝説になったとき、それが第三者に読まれてつまらない人間だとガッカリされてしまうという心配から来ている。

 それでも我ながらなんか面白いなというような文章もたまにあるので、そういうのは残しておいたりする。でも結局数年後に焼き尽くす。どうなんだろう、何も焼くことはないんじゃないか?そんなわけで、読み返してみる。

2022年の5月からしばらくの間モーニングページというのをやっていたが、私は朝余裕を持って起きるというのが大変苦手なので、なぜできると思ったのかは思い出せない。

 

以下はその日記の一部と現在の自分による補足である。

 

2022年5月7日の日記

見た夢について。14時に起きた。ミカン畑、狭いトンネル、三人の路上ミュージシャン。深い森の中。そろそろ森の中に行きたいね。ピンクグレープフルーツジュースがたっぷり入ったバスタブの栓を抜く。

(当時私は新宿のホテルのレストランで働いていた。毎日オレンジジュースとグレープフルーツジュースをそれなりの量捨てていた。そのせいだと思う)

坂の上の帽子屋。いくつか被る。

夢の話はここでおわり。当時の仕事ももうすぐ終わるという時期で、この先の人生がどうなるのか思案している様子がつらつら書かれている。

コンビニののり弁を食べ続け、料理も絵も本当は別に好きじゃない。

(それからもうすぐ2年が経つけど、いまだに調理場の末端に齧り付き、退屈凌ぎに絵を描いているよ)

本当は地元で一日中YouTube見たり本読んだり、コーヒー飲んでタバコ吸って、編み物してって過ごしたい。働かないと生きていけない、でなんでフランスに行くと言い出すのか自分でもよくわからない。

そう、私はフランスに修行に行くと言ってそこをやめたんだった。

頭がぼんやりしている。低気圧だ、いや寝すぎだ。お菓子が作りたい。お菓子は作りたいんだよな。久しぶりに、かなり久しぶりに自画像でも描いてみようか。テーブルに出しっぱなしの昨夜のキムチがくさい。

ああ、紛れもなく私が書いた文章である。何も変わっていない。昨日の日記と言われても驚かない。

この日の私はYouTubeを始めようとしている。それは今も始めていないよ。つまり私は当時から何一つ動いていないわけだ。

まあ物理的に土地を転々としているけれど。

それでこの後このダイソーのノートに書かれる日記はどんどん切羽詰まって、フランスに行こうにもビザとか諸々の手続きができない27歳の女の心情が書き連ねてあるわけだけど、今読むとかわいそうでそれなりに面白い。つまり日記というのは誰かオノレ以外の人間が読むことを想定して取り組むべき活動ではない。未来の自分が読むためにやるんだ。だから何も焼き尽くすことはないよ。本当に。

今後もランダムな日記は続けていこうと思う。結局捨てると思うけど。