26番地在住、宇宙人の日記

無鉄砲な人間がやる気なく生きていくさまを公開

メメントとフォロウィング

 先日目黒シネマでやっているノーラン監督特集に行った。



メメント』と『フォロウィング
どちらも一度見たことがあり、昔記録してたFilmarksによると、メメントは2016年2月、フォロウィングは2016年9月に見たようだ。
まず一本目がメメントだった。
タトゥーのことと復讐のことは覚えていたけど、あんな結末だったとは。
ほんとに見たのかね笑
あの衝撃を忘れるか?しかし見た記憶はある。
乗り倒され、運転席の窓ガラスも割れ、砂埃で汚れたジャガーがかっこいい。
私が今一番欲しい車は軽トラだけど、お金持ちだったらジャガーの旧車に乗りたいと思った。

そしてフォロウイングは映画を真似して誰かを尾行したくなるも、元来めんどくさがりなので実行に移さなかったってことだけ覚えていた。過去の自分に感謝である。今頃塀の中だったかもしれない。
いつだってギリギリのところでシャバにいる。なんてね。
この映画はノーラン監督の長編映画デビュー作で、当時28か29歳でこれを撮ったらしい。
天下の映画監督と比べてもしょうがないけど、同じ年頃の自分がダメダメすぎて悔しい。
もっと淡々とした映画だったと記憶していたけど、おそらく何か別の映画と混同している気がする。
本当に見たのか??
 確か2013年の終わりから数年はとにかく映画をたくさん見る必要があると思い込んで手当たり次第に見ていた時期だったから、いろんな映画がごっちゃになっているのかもしれない。
あの時なぜあそこまで映画に助けを求めいていたのかよくわからないけど、とにかくそんな時期だった。

二作ともパズルのように、時間や場面や登場人物の状況が一度ばら撒かれて、再度組み立てられていく感じが、論理的に物事を捉える人が作ったんだなということがよくわかる。
脚本は映画の時系列通りに書かれているんだろうか?読んでみたい。
きっとノーランは映画を撮っていなくても何かを成し遂げたんだろうな。

映画館はクーラーがきいていてすごく涼しかったから、上映後に階段を登って地上に近づくにつれて、熱気が押し寄せてきて面白かった。まるで目視できるような気分だった。
その後なぜかチーズバーガーが食べたくなり、帰り道で途中下車して新宿を彷徨うもオシャレな店には入れない宿命を背負っているので、ロッテリアで食べた。
見栄を打ち捨てるとかなんとか言っていたはずだけど。
 私は2年前まで新宿で働いており、知り合いがたくさんいるので絶対に見つからないように速やかに行動しなければならない。
合わす顔がないからである。でかい口叩いて飛び出したけれど、何者にもなれないまま2年が経ち、きっとこのまま終わるからである。
その焦りもあって、一度も立ち止まることなくルミネエストを上り下りし、数々のレストランの店頭のメニューを目の端で捉えるも、止まれずに外に出てしまったのである。ロッテリアは席から新宿の街を歩く人々を見下ろせるので悪くなかった。味は普通だった。

ここ数日例の憂鬱が距離を詰めてきている。
寝る前に全てのことが不安になり、過去にしなかったことに思いを馳せ、先延ばしにしているあらゆることが走馬灯のように過ぎる。走馬灯は幸いまだ見たことがないから確証はないけども。
そんなことをしているとどんどん眠れなくなるので、手の甲をつねったり、指で弾いたりして無理やり違うことを考えるようにする。牛のしつけをしている気分である。
彼らはすぐに学習するだろうから、牛にも勝てない。
何個か前の投稿で不安撃退法について書いたけど、なんだか今回はそれをやる気力もない。
前回ほどの負のパワーもなく、ただオブラートのように薄い恐怖に覆われているだけである。

できることならこのまま時間よ止まってくれ。

あるいは牛のようにUFOに吸い込まれたい。

 私にはたくさんの知人がいる。私の根底には彼らに褒められたい、驚かせたい、期待に応えたい、自慢の人間になりたいという欲求があり、それを実現することはできないだろうという絶望がある。それがきっと私を憂鬱に沈める一番の原因だと思う。誰に期待されているわけじゃないのに、自分が自分の可能性を諦めきれていないのである。

何かを成し遂げるためには何かを捨てなくてはならない。

でも何を選んで何を捨てればいいのか、もはや判断できない。