26番地在住、宇宙人の日記

無鉄砲な人間がやる気なく生きていくさまを公開

本日雨/夕食に期待

テーブルの上がこれ以上不可能なほど散らかってる。
頑張れば人一人寝そべることもできそうなサイズのテーブルのもはや地の面はほとんど見えていない。

パンの耳がある。昨日お昼に食べた食パンだ。
昨日の夜食べた汁なし坦々麺の袋がある。コンビニで買った茹で卵二つもあったけど、
流石に冷蔵庫にしまったほうがいいと思ったのでそうした。
そういう判断はできるんだ。しかしさっき食べた一個分の卵の殻は置いたままである。
それを捨てるというそういう判断はできない。
赤いネットに入ったみかん三つ。そしてみかんの皮。
最近買って2回しか使ってないホットサンドメーカー直火用、フライパンにもできるらしい。すごく楽しみにして届いた時は一人で小躍りした。1ヶ月開いていない洋書一冊。確かスウェーデンの空港で買った。
それからハチミツ、財布は数年前に父に誕生日に買ってもらったやつ。半分残ったパウチの米、ワセリン、レッドブルの空き缶一本おそらく3cmほど中身あり、そして今飲んでるレッドブル一本。ガラム一箱中身は一本残ってたっけ?
いつも吸ってる450円のタバコ3箱、全部一本か二本残っている。何本かは折れている。などをかき分けて見つけたいつものビタミン剤を飲むが、全く意味がないだろう。この部屋を片付けた方がよほど健康的である。
床には100円玉が落ちている。本屋の紙袋中身なし、絵の具のパレット(として使っている画用紙が入っていたビニール)、脱いだ靴下、髪の毛数本。

それでも朝6時に寮を出て、送迎バスに積まれてホテルに向かい、しみひとつない真っ白なコックコートに着替えて、ヒステリックなまでに手を洗い、熱を測ってゴム手袋をして髪を全てネットにしまい込み、サラダを盛るのである。あるいは卵を200個割る。爪は常に不細工なまでに短い。
私はこの一人で二極化している様を見るに自分が精神科にかかるべき段階にきているのではないかと自問して、同時にただ驚くべきほど怠惰な人間に過ぎないことも知っている。
29歳、立派な大人になろうとここ数年は特に努力したはずだけど、それは見当違いの方向だったようだ。私は一般的な社会人がしている、平然とまたはかなり必死でしているたくさんのことが全くできていない。怖くて書き出すこともできない。それらについて考えようとすると不安なので思考が滑る。
しかし生きている。去年の12月のことを思うと本当に生きていてすごい。
あの時もう少しでも気力があったらどうなっていたか考えると怖い。
それはさておき元気に生きている、おまけにかろうじて働いている。
よく考えるとかろうじて、かなりギリギリにそれでも私はずっと働いている。
おまけにいまだに消費者金融のお世話になったこともない。
それだけでまあよくやってる方かな。

雨が降り、それが凍って湖の周りの草は踏むとしゃりしゃり言う。
休憩中一人でいつまでもしゃりしゃり踏み鳴らす。葉のついていない枝が薄い氷を纏っている。なんだか見たことのない現象でいつまでも見ていたいが寒い。