26番地在住、宇宙人の日記

無鉄砲な人間がやる気なく生きていくさまを公開

不安撃退法について(我々はドロシーのようにはいかない)

春が来るから不安撃退法を紹介しよう。


 去年の12月、私は本当に人生を退会したかった。2022年の6月くらいから物理的な何かじゃなく、なんというか生命の感覚が一段階下のフェーズに落ちたような状態になった。そこから緩やかに気づかないくらいの速度で低下していき、2023年の10月に急に加速したと思ったら年末にはもう奈落の底であった。

なんのこっちゃという感じだけど、とにかくもう鬱に近かった気がする。医者じゃないのでわかりませんが。

毎朝目が覚めるとなんだまだ生きてるんか、と思った。毎朝である。やってらんないよな。

何が最適な決断か日々考え、道を歩いていると何もないのに急に心臓が縮み上がるそういう日常。友人からのLINEの返事も返せない、無音のNHKを一晩中つけていないと眠れない(これは今も笑)、上司が何を言っているのかよくわからない(雰囲気で察す)、毎朝心臓発作でも起こしそうな目覚め。

しかしトイレには行っていたし、すごくよく食べた。毎日コンビニで2000円以上のお菓子を買い全部食べていた。休みの日は12時間くらい寝ていた。うつ病の症状を調べると、それらはなんだか当てはまらないようだった。だから私は自分は病院に行くような状態ではないと判断し、歯を食いしばって年を越した。というよりルーティーンから外れたことをする気力がなかったのが幸いだったと思う。遠い昔のことのようであまり鮮明には思い出せないけど。

 2月に入るとそのびびるレベルの不安は去った。私は長野にいた。天気が良く、雪で真っ白の道、ローソンまでトーキングヘッズを聴きながら文字通り軽快なステップで歩いた。私はこの状態ができる限り長く続きますようにって信じてない神様に祈った。


今、たまに例のあいつの気配を感じる時がある。本当に怖い。もう一度あれを乗り切る自信がない。だから来ること自体を阻止しなきゃいけない。

そんなわけで阻止するための作業を模索し始めた。

とりあえず今わかっているやり方を書いておく。

  1. 腕時計の秒針の音を聞く。昔父に買ってもらった手巻き時計がある。歩きながら電池を溜めることもできるやつ。それが1秒に2回チクタク言う。それを耳に当てて聞く。これは一番手っ取り早い。特に布団の中でパニックを起こしそうになる時に多少マシになるからおすすめ。
  2. やりたいことリストを作る。被ってもいいからなるべく毎朝10個くらい書く。夜寝る前に明日の楽しみなことリストを作るんでもいい。それを壁に貼っておく。頑張ってそれをやる。
  3. タトゥーのデザインを考える。今チューリップが手首に、親指にニコちゃんがあるけどそれらをどう育てるか考える。去年ほど彫りたい欲はないけど、ヤバそうな時に考える。
  4. マージドラゴンの世話。マージドラゴンというゲームがある。ドラゴンの卵をマージして育てるゲーム。それをやってる時は無心になれる。あまりゲームはしないけどこれは無になりたい時にやる。
  5. 東海オンエアの動画を見る。嬉しいことに活動再開したから、これでまた仕事終わりに仕出し弁当を食べながら動画を見るという心の支えが復活した。一時は本当にヒヤヒヤした。コメント欄を見ていると、逆に憂鬱な時は見れないと書いている人もいた。
  6. 日々描いている絵を壁に貼っていく。どんな下手くそな絵でも貼って、視界をカラフルにする。たくさんあればあるほどいい。



  7. Kindleでポップな小説を読む。小難しいのはだめ。メンタルが落ちていると紙の本は読めない時があるけど、そういう時Kindleがあるとありがたい。最近買ったけど本当に気に入ってる。

     

    いろいろ種類があるけど、このシンプルなやつで十分だと思う。漫画を読むには向かないかもしれないけど。

  8. 晴れたら速攻外に出る。太陽に当たってぼーっとする。なるべく長く。
  9. オイルパステルでゴリゴリ色を塗る。オイルパステルは細かい線は描きにくいが、色が濃くつくからなんだかサッパリする。ちょっと瞑想のような感じにもなる。おすすめは大きめの画用紙一枚に、毎日いろんな画材で乱暴に汚くいろんな絵を書き散らすのがいいと思う。綺麗に描こうと思ったらいけない。下手くそでも迷いなく線を描く。

部屋の掃除なんかしなくていいから。だったら散歩に出よう。チャリでかっ飛ばして風になろう。

服が床に落ちていても、気に留める必要はない。本当は片付けなきゃいけないとか思うから余計にメンタルが削られる。服はそこにあるもの。テーブルは置き場がなくなるくらいでちょうどいい。絵を描くときは避ければいいから。ペットボトルには一口飲み物が残るのが普通。テレビはずっとつけておこう。

やつが来るくらいなら、己の愚かさなんてなんてことはない。

夜と朝はどちらか選べない。あと100年頑張っていきるぞ!

場所を移動。静岡にやってきた。

 

 世の中のどれほどの人が日記を書いているんだろう。
昔父に日記を書いたことがあるか聞いたことがあるが、宿題以外では書いたことがないというようなことを言っていた。
友人も彼女の父親に同じ質問をし、同じような回答を得ていた。

 私は非常にランダムに日記を書く人間である。飽きっぽいので継続はしないけれど、書くときは延々と書き連ねている。
そしてかなりの頻度でそれを捨てる。あるいは実家の庭で焼く。
その理由が自分でも驚く、というか呆れるんだけど、私がついにピカソとかバスキアなんかみたいに伝説になったとき、それが第三者に読まれてつまらない人間だとガッカリされてしまうという心配から来ている。

 それでも我ながらなんか面白いなというような文章もたまにあるので、そういうのは残しておいたりする。でも結局数年後に焼き尽くす。どうなんだろう、何も焼くことはないんじゃないか?そんなわけで、読み返してみる。

2022年の5月からしばらくの間モーニングページというのをやっていたが、私は朝余裕を持って起きるというのが大変苦手なので、なぜできると思ったのかは思い出せない。

 

以下はその日記の一部と現在の自分による補足である。

 

2022年5月7日の日記

見た夢について。14時に起きた。ミカン畑、狭いトンネル、三人の路上ミュージシャン。深い森の中。そろそろ森の中に行きたいね。ピンクグレープフルーツジュースがたっぷり入ったバスタブの栓を抜く。

(当時私は新宿のホテルのレストランで働いていた。毎日オレンジジュースとグレープフルーツジュースをそれなりの量捨てていた。そのせいだと思う)

坂の上の帽子屋。いくつか被る。

夢の話はここでおわり。当時の仕事ももうすぐ終わるという時期で、この先の人生がどうなるのか思案している様子がつらつら書かれている。

コンビニののり弁を食べ続け、料理も絵も本当は別に好きじゃない。

(それからもうすぐ2年が経つけど、いまだに調理場の末端に齧り付き、退屈凌ぎに絵を描いているよ)

本当は地元で一日中YouTube見たり本読んだり、コーヒー飲んでタバコ吸って、編み物してって過ごしたい。働かないと生きていけない、でなんでフランスに行くと言い出すのか自分でもよくわからない。

そう、私はフランスに修行に行くと言ってそこをやめたんだった。

頭がぼんやりしている。低気圧だ、いや寝すぎだ。お菓子が作りたい。お菓子は作りたいんだよな。久しぶりに、かなり久しぶりに自画像でも描いてみようか。テーブルに出しっぱなしの昨夜のキムチがくさい。

ああ、紛れもなく私が書いた文章である。何も変わっていない。昨日の日記と言われても驚かない。

この日の私はYouTubeを始めようとしている。それは今も始めていないよ。つまり私は当時から何一つ動いていないわけだ。

まあ物理的に土地を転々としているけれど。

それでこの後このダイソーのノートに書かれる日記はどんどん切羽詰まって、フランスに行こうにもビザとか諸々の手続きができない27歳の女の心情が書き連ねてあるわけだけど、今読むとかわいそうでそれなりに面白い。つまり日記というのは誰かオノレ以外の人間が読むことを想定して取り組むべき活動ではない。未来の自分が読むためにやるんだ。だから何も焼き尽くすことはないよ。本当に。

今後もランダムな日記は続けていこうと思う。結局捨てると思うけど。

 

 

本日雨/夕食に期待

テーブルの上がこれ以上不可能なほど散らかってる。
頑張れば人一人寝そべることもできそうなサイズのテーブルのもはや地の面はほとんど見えていない。

パンの耳がある。昨日お昼に食べた食パンだ。
昨日の夜食べた汁なし坦々麺の袋がある。コンビニで買った茹で卵二つもあったけど、
流石に冷蔵庫にしまったほうがいいと思ったのでそうした。
そういう判断はできるんだ。しかしさっき食べた一個分の卵の殻は置いたままである。
それを捨てるというそういう判断はできない。
赤いネットに入ったみかん三つ。そしてみかんの皮。
最近買って2回しか使ってないホットサンドメーカー直火用、フライパンにもできるらしい。すごく楽しみにして届いた時は一人で小躍りした。1ヶ月開いていない洋書一冊。確かスウェーデンの空港で買った。
それからハチミツ、財布は数年前に父に誕生日に買ってもらったやつ。半分残ったパウチの米、ワセリン、レッドブルの空き缶一本おそらく3cmほど中身あり、そして今飲んでるレッドブル一本。ガラム一箱中身は一本残ってたっけ?
いつも吸ってる450円のタバコ3箱、全部一本か二本残っている。何本かは折れている。などをかき分けて見つけたいつものビタミン剤を飲むが、全く意味がないだろう。この部屋を片付けた方がよほど健康的である。
床には100円玉が落ちている。本屋の紙袋中身なし、絵の具のパレット(として使っている画用紙が入っていたビニール)、脱いだ靴下、髪の毛数本。

それでも朝6時に寮を出て、送迎バスに積まれてホテルに向かい、しみひとつない真っ白なコックコートに着替えて、ヒステリックなまでに手を洗い、熱を測ってゴム手袋をして髪を全てネットにしまい込み、サラダを盛るのである。あるいは卵を200個割る。爪は常に不細工なまでに短い。
私はこの一人で二極化している様を見るに自分が精神科にかかるべき段階にきているのではないかと自問して、同時にただ驚くべきほど怠惰な人間に過ぎないことも知っている。
29歳、立派な大人になろうとここ数年は特に努力したはずだけど、それは見当違いの方向だったようだ。私は一般的な社会人がしている、平然とまたはかなり必死でしているたくさんのことが全くできていない。怖くて書き出すこともできない。それらについて考えようとすると不安なので思考が滑る。
しかし生きている。去年の12月のことを思うと本当に生きていてすごい。
あの時もう少しでも気力があったらどうなっていたか考えると怖い。
それはさておき元気に生きている、おまけにかろうじて働いている。
よく考えるとかろうじて、かなりギリギリにそれでも私はずっと働いている。
おまけにいまだに消費者金融のお世話になったこともない。
それだけでまあよくやってる方かな。

雨が降り、それが凍って湖の周りの草は踏むとしゃりしゃり言う。
休憩中一人でいつまでもしゃりしゃり踏み鳴らす。葉のついていない枝が薄い氷を纏っている。なんだか見たことのない現象でいつまでも見ていたいが寒い。